ホーム>大学紹介>学長メッセージ 言伝>学長メッセージNo.53 データ・サイエンスと人文知の融合

大学紹介

About Otemon
  • シェアする
  • facebook

2021.07.28

データ・サイエンスと人文知の融合

 データ・サイエンスという言葉がよく聞かれます。あらゆるデータを集め、分析し、その結果に基づいて次の行動を決定することは、実に理に適ったことです。本学でも教育DXの中でこれを進めようとしています。
 研究の世界でも、実証研究として、データによるエビデンスは必須のものともされています。私の専攻する文学研究においてさえ、最近では「読み」よりデータが重視されます。
 しかしながら、データ・サイエンスにも落とし穴があります。

 こんな話を聞いたことがあります。
松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」という有名な句を翻訳しようとした、英語圏の日本文学研究者がいました。いきなり「蛙(かはず)」の訳で躓きます。この蛙は単数(a frog)か複数(frogs)かと。ラフカディオ・ハーンは複数、ドナルド・キーンは単数で訳したようですが、いずれが正しいのかと。
 そこでこの研究者は、データ・サイエンスの手法を取り入れます。まず古池の大きさはどのくらいか、多くの日本人にアンケートを取りました。次に蛙の数のイメージを調査しました。多くが一匹だけと答えました。最後に水の音のイメージを聞きました。「ポチャン」という音が適しているというデータが集積できました。そこで、その大きさの石をその大きさの池に投げ、実証実験も行いました。
 これらのデータから、ついに蛙の大きさが特定できました。その大きさの蛙で日本に棲むのは、カジカガエルだけであることも、データが明確に示しました。
 意気揚々としてこの結果を発表した研究者に、一つの大きな難問が降りかかりました。
 カジカガエルは清流に住み、古池にはいない、というのです。
 結果、この句の新しい解釈は、カジカガエルは身投げでもしたのであろう。そうでなければ、でたらめの句ということになる、というものになりました。

 ここに至るデータ・サイエンスの手順は、よく採られるものです。しかしながら、最後の結論は実に奇妙です。なぜなのでしょうか。
 これを解明するために求められるのが人文知です。先の研究者の手順には、例えばこの句の音の美についての議論が欠落しています。解明すべき最も大切なものは、蛙の種類などではないはずなのです。
 さあ、皆さんはどう考えますか。

バックナンバー