ホーム>大学紹介>学長メッセージ 言伝>学長メッセージNo.105 「演じる」ということ

大学紹介

About Otemon
  • シェアする
  • facebook

2024.12.12

「演じる」ということ

 毎年12月、京都南座では、顔見世大歌舞伎の興行が行われます。顔見世とは、元は、歌舞伎役者の契約が一年更新で、11月がその更新期であったため、新しい契約役者が初めて座組をして見せる芝居のことを謂いました。今では、東西の人気役者が集まる、歳末の恒例行事となっています。誰にもわかりやすい演目が、「見取り」で構成されることが多く、今年も、昼夜とも気楽に楽しむことができました。
 「元禄忠臣蔵」では、片岡仁左衛門が主役の大石内蔵助を演じました。ちなみに今の仁左衛門は十五代目で人間国宝、本名は片岡孝夫です。つまり、片岡孝夫という人が、仁左衛門という役者名を襲名し、その仁左衛門が大石内蔵助の役を演じています。
 大好きな仁左衛門の芝居では、いつもこんなことを考えます。いったい自分は今、「元禄忠臣蔵」の内蔵助を観ているのだろうか、役者仁左衛門を見ているのだろうか、はたまた片岡孝夫その人を見ているのだろうか、と。演劇の観方としては、内蔵助の像のみを追うのが正しいのかもしれませんが、仁左衛門の内蔵助だから素晴らしい、と感じることも確かです。
 これは、一見、俳優などに特有のことのように思えますが、考えてみれば、我々も、普段同じように、さまざまな「役」を知らず知らずのうちに演じています。私は、大学では学長の「顔」ですが、家では大人の息子や娘から、いまだに、パピー、と呼ばれています。パピー、です。ひょっとすると、演劇を観る醍醐味は、誰にも日常的に存在する、この「顔」の複数性や複雑性を典型的に示してくれることにあるのかもしれません。

 先日、安威キャンパス学生会館2階展示室で、舞台表現プロジェクトSTEPの第14回公演「喫茶Sunny」を観てきました。認知症の問題を扱ったこの作品は、自分が自分を徐々に忘れていく際の自分の「人格」とは、など、いつも同様、いろいろと考えさせられるものでした。

 皆さんも、自分の「人格」はとりあえず不変のものとして、その上で、新しい年に向けていろいろな役割を演じ分け、不変の自分と、役割としての自分の双方を感じてみてはいかがでしょうか。今日は意識的にリーダーの役を演じよう、今日は子や孫や兄や妹などとしてわざと甘えてみよう、などと。
 新しい自分の顔見せ、ですね。

舞台表現プロジェクトSTEP第14回公演「喫茶Sunny」

バックナンバー