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2021.03.24

脚気と森鷗外と高島鞆之助

 皆さんは、脚気という病気をご存じでしょうか。小学生の頃、教室で、膝を木槌で叩き合った経験はありませんか。
 脚気は、今日ではその罹患原因がわかり、根治もほぼ可能な病気ですが、明治時代には、年間1万人以上もの死者を出すこともあった、実に深刻な病気でした。
 先日、兵庫県立ピッコロ劇団の第72回公演「脚気にしやがれ!~近代日本最悪の病「脚気」奮闘記~」という演劇を見てきました。医学を学ぶためにドイツに留学していた森鷗外の帰国前後を描いたもので、脚気の要因については、彼と上司の陸軍省医務局長石黒忠悳が最先端の細菌説を採って、栄養不足にならないように軍隊の兵食を従来どおり白米にすべきとしたのに対し、麦入りの飯を採用した軍隊や監獄で脚気が治ったという報告が相次ぎ、原因は不明ながら、白米を止め麦入り飯にすべしという漢方医などの説が出て論争となり、また当時の医学界の主導権をめぐる政争にもなるという話です。文豪として著名な鷗外の、軍医というもう一つの顔にスポットを当てたものであり、病因をめぐる論争としても極めて有名なものです。ドイツの最新医学に代表される西洋を重視する開化的な科学主義と、伝承や経験などをもとに、漢方などの従来の医術をも存続させようとする人々との葛藤が、実に明確な図式で描かれています。
 ところで、この演劇に本学院の創設者である高島鞆之助が重要人物として登場します。高島は、大阪鎮台司令官や陸軍大臣などを歴任した当時の陸軍を代表する軍人ですが、脚気に関しては、麦入り飯の効果の報告から、柔軟にこれを採用すべきという説につき、明治天皇にも上申したとされています。先の演劇中においても、石黒や森鷗外に対立する好人物として描かれています。
 脚気はビタミンB1不足により起こります。このビタミンが未だに発見されていなかった当時のことを考えると、一概に石黒や森鷗外を責めることはできませんが、高島のようにさまざまなデータを参考にして、結果を重んじる判断を下すことの大切さは、今も変わりません。
 ぜひ、軍医森鷗外や、当時の脚気論争、そして高島鞆之助の事績について、調べてみてください。きっと皆さんの「判断力」に繋がるヒントがありますよ。

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