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2022.10.31

デジタル時代の研究

 私はとある大学の文学部の出身で、日本の近現代文学が専門で、主に明治から昭和期の小説を研究対象としてきました。
 一口に小説の研究といっても、さまざまな方法があります。ストーリー研究ならば青空文庫や文庫本でもできますが、最初に雑誌に載ったものと後に作家が初版本で書き換えたものの比較研究、などとなると、そう簡単ではありません。発表当時の雑誌や、初版本に目を通す必要が出てきたりします。
 皆さんは、芥川龍之介の「羅生門」の結末の、「下人の行方は、誰も知らない」という言葉から、下人の行方を考えて書きなさい、という問題を解いたことはありませんか?
 実は、「羅生門」が1915年11月に『帝国文学』という雑誌に発表された時には、「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急ぎつゝあつた。」とはっきりと書かれていました。
 さらに言えば、先の問いにおいても、そもそも「誰も知らない」と書かれている「下人の行方」を考えることも、無意味だとは思いませんか?

 最近、国立国会図書館の多くの資料が、ウェブサイト上で配信されるようになり、以前は東京まで行かなければ見られなかった貴重な資料も、家のパソコン等で手軽に見ることができます。各種データベースも充実し、資料の在処に辿り着くこともかなり容易になりました。これらはとにかく喜ぶべきことです。
 しかし、例えば近代の資料でも、国立国会図書館のデジタルライブラリーで見ることができるものは、いまだに本を複写した写真画像がほとんどです。複写の精度によっては、文字が潰れていて読めないものもあります。このようなデジタル化に対し、OCRなどで読み込んで、いわゆる電子テキスト化するというデジタル化もあります。ただしその際には、今度は書物の原型などの周辺情報が失われます。
 実はデジタル化と言っても、完成された方法があるわけではないのです。
 またこれは、文学研究に限った話でもありません。

 研究することが便利になった今こそ、何を研究すべきかの本質が問われていると言ってもよいのかも知れません。皆さんは、何を研究すべきか、そのためには、どのような方法を用いるべきか、その問いの延長線上で、デジタル技術を活用してください。それが求められている時代です。

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