大学紹介
2023.07.10
大東市に住む私の同年の従兄弟は、私を呼ぶ時、「自分」という一人称を使います。「自分、この頃忙しいの?」「自家製チャーシュー作ったけど、自分、食べる?」といった具合です。彼が「自分」ではなく、私が「自分」なのです。
他にも、「君」や「あなた」といった二人称の代わりに、一人称を使うことは、日本語ではよくあります。例えば、小さな子供に、「ぼく、どうしたの?」と尋ねる時などです。これは、その子供の目線に立って、優しく話しかけるため、と考えられます。
「おのれ、許さん」という例もあります。「己」が相手のことで、考えてみれば不思議な使い方です。「自分のことをよくふりかえってみろ」などのニュアンスが含まれているのかもしれません。ちなみに、河内弁などで使う「おんどれ」という言葉も、「おのれ」の変化と考えられます。南河内在住でも、私は使いませんが。
反対に、人に呼び掛ける時、あまり「君」とか「あなた」の二人称は使わないのではないでしょうか。殊に大阪では。せいぜい「お前なあ」くらいでしょうか。
余談ですが、「貴様」という言葉がありますが、字面だけ見ていれば、これほどの尊敬語はありませんね。
私の従兄弟も、私に対して、子供の頃は「まさちゃん」と呼んでいましたが、この歳で「まさちゃん」でもあるまいと、いろいろ考えた末に、「自分」を選んだようです。
日本語は、個の区別をあまり強調すると角が立つので、同調を重視して人称語をあまり使わないようです。主客が曖昧な言語だと言われたりもします。また、以前は、「私は、私は、」と自己の意見を強調しすぎるとよくない、という風潮も確かにありました。
今は文化のグローバル化が進み、明確に自分の意見を言うことが推奨されています。特に英語教育や異文化コミュニケーションの分野ではそれが顕著です。
しかしながら、このような、意見交換の場における主張と主体の明確化と、日本語における、人称の曖昧化とは、やや問題の次元が異なっているように思われます。そこには、文化全体が関わっています。
皆さんは、友だちや家族、先輩たちや後輩たちと、どのような人称で呼び合っていますか。ちょっと振り返ってみてください。人間関係の機微が、そこから感じ取れるはずです。
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